福岡っちゃあどげんなとこかいな?

  

地理 交通 気候 人口 鉱業 工業 農業 水産業
県民性 県木 県花 県鳥 有名人 歴史 リンク集  

 

福岡の地理

 面積

 4967.64km2

 位置

極東東経 131度11分 築上郡(ちくじょうぐん)大平村(たいへいむら)大字上唐原(おおあざかみとうばる)
極西東経 130度02分 糸島郡(いとしまぐん)二丈町(にじょうまち)大字包石
極南北緯  33度00分 大牟田市(おおむたし)東萩尾町(ひがしはぎおまち)
極北北緯  34度15分 宗像郡(むなかたぐん)大島村(おおしまむら)沖ノ島(おきのしま)

 東は大分県、南は熊本県、西は佐賀県に接しています。
 北東は周防灘(すおうなだ)、北西は響灘(ひびきなだ)と玄海灘、南西部は有明海に面しています。

東京まで直線距離  880km 飛行機で1時間30分 新幹線で5時間00分
大阪まで直線距離  480km 飛行機で1時間05分 新幹線で2時間30分
札幌まで直線距離 1410km 飛行機で2時間10分  
那覇まで直線距離  850km 飛行機で1時間35分  
上海まで直線距離  870km 飛行機で2時間00分  
北京まで直線距離 1430km  飛行機で2時間50分  
ソウルまで直線距離  530km 飛行機で1時間15分  

 

 地勢

 北部九州の北端に位置します。
 美しい海岸線や山に恵まれ、多くの観光客が福岡を訪れます。

平野
筑紫平野 (つくしへいや)  周防灘(すおうなだ)沿岸に広がり、九州最大の平野で面積は約1200平方キロです。
 筑後川(ちくごがわ)と矢部川の沖積作用と最大5mにも達する有明海の干潮差により泥土の逆流が有明湾頭を埋め立てて形成した沖積平野です。
 福岡県と佐賀県にまたがり、筑後川(ちくごがわ)右岸の福岡側を筑後平野(ちくごへいや)、佐賀側を佐賀平野とも呼びます。
 九州一の米の産地です。
直方平野 (のおがたへいや)  遠賀川(おんががわ)流域に広がっています。
 面積は240平方キロあまりです。
 昔から豊かな農村地帯でしたが、炭田の開発、荒廃が進み、現在は土地の再開発が進んでいます。
福岡平野 (ふくおかへいや)  北部九州の中心地で博多湾に臨む半月形の海岸平野です。
 糸島半島と海の中道まで広がり、面積約240平方キロです。
豊前平野 (ぶぜんへいや)  企救半島(きくはんとう)から大分県の国東半島(くにさきはんとう)へのびる弧状の周防灘(すおうなだ)海岸線に広がる帯状の海岸平野です。
 英彦山(ひこさん)火山群によって二分され、北部を行橋平野(ゆくはしへいや)、南部を主として中津平野(なかつへいや)と呼んでいます。
 低湿地が多く、一毛作に利用されています。

  

築紫山脈 (ちくしさんみゃく)  中国山脈の西の延長部分で、火山以外は標高1100m以下の低くてなだらかな山地です。
 北東より企救(きく)、貫(ぬき)、福智(ふくち)、三郡(さんぐん)、背振(せふり)の5つの山地に分けられます。
耳納山地 (みみのうさんち)  筑後川の南で、標高802mの鷹取山(たかとりさん)を主峰として、北側の山麓は扇状にひらけています。
 耳納スカイラインは360度のパノラマを楽しめる人気のドライブコースです。
筑肥山地 (ちくひさんち)  熊本県境を東西に走っています。
開析溶岩大地 (かいせきようがんだいち)  県南東部に広がり、筑後川によって南北に分けられています。
 北部には古くから修験道の霊山として開けた1200mの英彦山(ひこさん)、南部の奥八女(やめ)地域には1231mの県最高峰の釈迦ヶ岳(しゃかだけ)があります。

 

筑後川 (ちくごがわ)  筑紫次郎と呼ばれて下流には筑紫平野が広がります。 九州一の米どころの大事な水源です。 筑後川の中流域とその周辺は筑後川県立自然公園に指定されいます。
遠賀川 (おんががわ)  福岡県で2番目に長い川です。 穂波川(ほなみがわ)と嘉麻川(かまがわ)が飯塚市で合流して遠賀川になり、芦屋町で響灘(ひびきなだ)へ注いでいます。
矢部川 (やべがわ)  源流部には日向神(ひゅうがみ)ダムがあります。 流域は矢部川県立公園に指定され素晴らしい景観が楽しめます。

 

海岸
響灘・玄界灘海岸 (ひびきなだ・げんかいなだかいがん)  志賀島(しかのしま)、糸島半島(いとしまはんとう)、若松半島(わかまつはんとう)、鐘崎(かねざき)など素晴らしい海岸崖を見ることができます。
 弧状の砂浜海岸と岬が交代に連なる沈隆性海岸です。
周防灘海岸 (すおうなだかいがん)  企救半島(きくはんとう)から大分県境の山国川河口まで、延長約50qです。
 砂泥、岩石海岸で、海岸線は単調です。
有明海岸 (ありあけかいがん)  延長約20qの遠浅砂浜海岸です。
 筑後川、矢部川などの沖積作用によって複合デルタが発達してできました。
 その先に耕地を広げるため埋め立てられた干拓地があります。
 またさらにその先沖合い約5qにわたって干潟(ひがた)になり、ムツゴロウ漁、採貝、海苔の養殖などに利用されます。

 国定公園 

瀬戸内海国定公園 (せとないかいこくていこうえん)  瀬戸内海国定公園の西端で、関門海峡、和布刈公園(めかりこうえん)などがあります。
北九州国定公園 (きたきゅうしゅうこくていこうえん)  カルスト地形の平尾台です。
耶馬日田英彦山国定公園 (やばひたひこさんこくていこうえん)  英彦山一帯と原鶴温泉です。
玄界国定公園 (げんかいこくていこうえん)  多くの弓状砂浜海岸が美しい玄界灘沿岸一帯です。

 地域

 地理的、歴史的、経済的、社会的特性から福岡地方、北九州地方、筑後地方、筑豊地方の4地域に分けられます。
 (「福岡の政治」を見て下さい。)

 

福岡の交通

 道路

 国道3号線、10号線、九州自動車道、都市高速など九州各地へ自動車で行くのにとても便利です。
 九州と山口県とは関門海底トンネルと関門橋で結ばれています。
 関門国道トンネルは1958年にでき、自動車と人が通れるようになりました。
 関門橋を通る関門自動車道が1973年に開通しました。 
 路線バスも多くあります。

 鉄道

 山陽本線は1942年の関門トンネル完成により、福岡まで伸びました。
 新関門トンネルが1975年にでき、東海道山陽新幹線が博多まで開通し、博多−東京間が約6時間です。
 門司駅を起点に鹿児島、日豊(にっぽう)両本線が九州南部へ通っています。
 鳥栖−長崎間を結ぶ長崎本線もあります。
 県内には筑豊本線、久大線、日田彦山線(ひたひこさんせん)、平成筑豊鉄道、筑肥線(ちくひせん)、西鉄電車、福岡市営地下鉄などがあります。

 海運

 小倉港、門司港、洞海港(どうかいこう)、博多港、三池港などの貿易港を中心、アジアの玄関口として発達しています。

 空運

 福岡空港と北九州空港があります。
 福岡空港は市街地に近くとても便利なところにあります。
 福岡−東京間は約1時間40分です。(「福岡の地理」の「位置」を見て下さい。)
 福岡空港はかつて板付飛行場(いたづけひこうじょう)と呼ばれ、終戦より1972年までの26年間アメリカ軍に占領されていました。

 

福岡の気候

 位置が南にあり、日本海流と対馬海流という暖流が近くを流れていますので、年間を通して一般に温暖です。  
 年平均気温は東京より1度ほど高いのですが、冬は玄界灘より吹き付ける季節風のため体感気温は割合低いです。
 雪や霰(あられ)が降ることもありますが、平地で積雪することはあまりありません。 
 南九州より降水量は少ないですが、梅雨期と台風期は集中豪雨により大きな被害をうけることもあります。
 瀬戸内海に面したところは年間降水量が少なく、水不足のため干害になやまされることもあります。
 冬の降水量は全体的に少ないです。
 有明海沿岸地域は夏と冬の気温差が大きく、内陸性の気候です。
                                             

年平均気温 16.2度
年平均湿度 70.0%
年間日照時間 1810.6時間
年間降水量 平野部で1400ミリから1700ミリ
矢部川源流域や筑後川上流部の山岳地帯で2500ミリから3000ミリ

 

福岡の人口

 

人口 1999年に500万人を越えました。
2007年3月1日現在、推計5,057,286人です。
人口密度 1000人/ku近くで九州最高です。

 

福岡の政治

 福岡県は明治時代には自由民権運動が盛んで多くの運動家が生ました。
 戦後は自民党と社会党による55年体制の中、「社会党王国」とよばれました。
 しかし日本社会党が分裂後は大きく様変わりして、保守化の傾向が強くなっています。

 県庁所在地 福岡市 住所 福岡市博多区東公園7−7 〒812−8577  電話 092−651−1111

 行政地域 2007年12月現在、28市34町4村の66市町村に分けられます。 その中で福岡市と北九州市が政令市です。

   平成の大合併以前(2002年末まで)の行政地域はこちらです。

福岡地区 福岡市 (ふくおかし) 中央区、博多区、早良区(さわらく)、城南区(じょうなんく)、南区、東区、西区
  〃 筑紫野市 (ちくしのし)  
  〃 春日市 (かすがし)  
  〃 大野城市 (おおのじょうし)  
  〃 宗像市 (むなかたし) 2003年4月1日に宗像市は宗像郡(むなかたぐん)の玄海町(げんかいまち)と合併しました。
2005年3月28日宗像郡の大島村(おおしまむら)を編入しました。
これにより宗像郡は消滅しました。
  〃 太宰府市 (だざいふし)  
  〃 前原市 (まえばるし)  
  〃 古賀市 (こがし)  
  〃 福津市 (ふくつし) 2005年1月24日に宗像郡の福間町(ふくままち)、津屋崎町(つやざきまち)が合併して誕生しました。
  〃 朝倉市 (あさくらし) 2006年3月20日甘木市と朝倉郡の杷木町(はきまち)、朝倉町(あさくらまち)が合併して誕生しました。
  〃 筑紫郡 (ちくしぐん) 那珂川町(なかがわまち)
  〃 糟屋郡 (かすやぐん) 宇美町(うみまち)、篠栗町(ささぐりまち)、志免町(しめんまち)、須恵町(すえまち)、新宮町(しんぐうまち)、久山町(ひさやままち)、粕屋町(かすやまち)
  〃 朝倉郡 (あさくらぐん) 筑前町(ちくぜんまち)(2005年3月22日に三輪町(みわまち)、夜須町(やすまち)が合併して誕生しました。)
東峰村(とうほうむら)(2005年3月28日に小石原村(こいしわらむら)、宝珠山村(ほうしゅやまむら)が合併して誕生しました。)
  〃  糸島郡 (いとしまぐん) 二丈町(にじょうまち)、志摩町(しままち)
       
北九州地区 北九州市 (きたきゅうしゅうし) 門司区(もじく)、小倉北区(こくらきたく)、小倉南区(こくらみなみく)、戸畑区(とばたく)、八幡東区(やはたひがしく)、八幡西区(やはたにしく)、若松区(わかまつく)
  〃  行橋市 (ゆくはしし)  
  〃  豊前市 (ぶぜんし)  
  〃  中間市 (なかまし)  
  〃  遠賀郡 (おんがぐん) 芦屋町(あしやまち)、水巻町(みずまきまち)、岡垣町(おかがきまち)、遠賀町(おんがちょう)
  〃  京都郡 (みやこぐん) 苅田町(かんだまち)、みやこ町(2006年3月20日に犀川町(さいがわまち)、勝山町(かつやままち)、豊津町(とよつまち)が合併して誕生しました。
  〃  築上郡 (ちくじょうぐん) 築城町(ちくじょうまち)(2006年1月10日に椎田町(しいだまち)、築城町(ついきまち)が合併して誕生しました。)、吉富町(よしとみまち)、上毛町(こうげまち)(2005年10月11日に新吉富村(しんよしとみみら)、大平村(たいへいむら)が合併して誕生しました。)
       
筑豊地区 直方市 (のおがたし)  
  〃  飯塚市 (いいづかし) 2006年3月26日に飯塚市に嘉穂郡の筑穂町(ちくほまち)、穂波町(ほなみまち)、庄内町(しょうないまち)、頴田町(かいたまち)が合併した。
  〃  田川市 (たがわし)  
  〃 宮若市 (みやわかし) 2006年2月11日に鞍手郡の宮田町(みやたまち)、若宮町(わかみやまち)が合併して誕生しました。
  〃 嘉麻市 (かまし) 2006年3月27日に山田市と嘉穂郡の稲築町(いなつきまち)、碓井町(うすいまち)、嘉穂町(かほまち)が合併して誕生しました。
  〃  鞍手郡 (くらてぐん) 小竹町(こたけまち)、鞍手町(くらてまち)
  〃  嘉穂郡 (かほぐん) 桂川町(けいせんまち)
  〃  田川郡 (たがわぐん) 香春町(かわらまち)、添田町(そえだまち)、、糸田町(いとだまち)、川崎町(かわさきまち)、大任町(おおとうまち)、福智町(ふくちまち)(2006年3月6日に赤池町(あかいけまち)、方城町(ほうじょうまち)、金田町(かなだまち)が合併して誕生しました。)、赤村(あかむら)
       
筑後地区 大牟田市 (おおむたし)  
  〃  久留米市 (くるめし) 2005年2月5日に久留米市に三井郡(みいぐん)の北野町(きたのまち)、三潴郡(みずまぐん)の城島町(じょうじままち)、三瀦町(みずままち)、浮羽郡(うきはぐん)の田主丸町(たぬしまるまち)が編入しました。
  〃  柳川市 (やながわし) 2005年3月21日に柳川市に山門郡(やまとぐん)の大和町(やまとまち)、三橋町(みつはしまち)が合併しました。 
  〃  八女市 (やめし) 2006年10月1日に八女郡の上陽町(じょうようまち)を編入しました。
  〃  筑後市 (ちくごし)  
  〃  大川市 (おおかわし)  
  〃  小郡市 (おごおりし)  
  〃 うきは市 (うきはし) 2005年3月20日に浮羽郡の吉井町(よしいまち)、浮羽町(うきはまち)が合併して誕生しました。
これによって浮羽郡が消滅しました。
  〃 みやま市 (みやまし) 2007年1月29日に山門郡の瀬高町(せたかまち)、山川町(やまかわまち)、三池郡の高田町(たかたまち)が合併して誕生しました。
これにより山門郡は消滅しました。
  〃  三井郡 (みいぐん) 大刀洗町(たちあらいまち)
  〃  三瀦郡 (みずまぐん) 大木町(おおきまち)
  〃  八女郡 (やめぐん) 黒木町(くろぎまち)、立花町(たちばなまち)、広川町(ひろかわまち)、矢部村(やべむら)、星野村(ほしのむら)

 

福岡の鉱業

石炭

 多くの炭田があり、日本の工業発達に貢献しましたが、石油の時代になると多くの炭鉱が閉山になりました。
 日本一だった筑豊炭田が閉山になり、三池炭田も1997年に閉山になりました。
 雇用問題、炭住問題、元鉱山労働者の高齢化問題など多くの問題が残りました。

石灰石

 平尾台や津久見付近では石灰石がとれて、セメントの原料になっています。

 

福岡の工業

 洞海湾(どうかいわん)沿岸は、北九州工業地帯の中心部で、日本の四大工業地帯の一つです。
 1901年(明治34年)に官営の八幡製鉄所ができました。
 筑豊炭田の石炭と中国から輸入した鉄鉱石、石炭とともに製鉄業はめざましい発展をとげました。
 しかし第二次世界大戦後は、原料の輸入先が中国からオーストラリアに変わり、また他の工業地帯の製鉄所におされ生産は伸び悩んでいます。
 最近では鉄冷えのため、製鉄を中心とする金属工業から、機械工業が占める割合が高くなっています。
 また豊富な石灰石を利用してセメント工業が盛んです。
 久留米ではタイヤやゴム靴などゴム工業が発達しました。
 大牟田では化学肥料工業が発達しています。
 新しい工業としては、IC(集積回路)などをつくる電子工業が次々と起こっています。
 ICは軽くて小さいものなので、飛行機で輸送できます。
 そのため空港に近く、土地の値段が安く、空気と水のきれいな所に工場が建てられています。
 九州各地にIC工場がつくられ、九州は世界的なICの産地となり、シリコンアイランドと呼ばれています。
 在来工業は伝統的な絹織物の博多織、博多人形、綿織物の久留米絣などがあります。
 大工場が多いのが北九州工業地帯の特徴です。
 京浜工業地帯、中京工業地帯、阪神工業地帯に比べて大消費地に遠く、鉄冷えなどの結果、年々生産高が低くなっています。

 

福岡の農業

 筑紫平野は九州一の米の産地です。
 筑後川の下流の水郷地帯ではクリーク(水路)が網の目のようにつくれれていましたが、最近は大型農耕機械を使うため耕地整理が行われ、多くのクリークは埋め立てられています。
 二毛作地帯も多く、米の裏作として以前は麦類、なたねがよく作られていましたが、最近はそれ以外にビニールハウスによる野菜づくりやい草の栽培が行われています。
 ブドウやナシなどの果樹園、茶の栽培、酪農も盛んです。

 

福岡の水産業

 広い大陸棚が広がり、底引き網での漁が盛んに行われています。
 主にアジ、サバ、イカなどが多く水揚げされます。
 韓国や中国との漁業協定で厳しい制限をうけています。
 有明海ではのりの養殖が盛んです。
 また有明海にしかいない珍しい魚介類が獲れます。
 (「うまかもんがこげんあるばい」の「魚がえらいうまかもんなあ」も見て下さい。)

 

福岡の県民性

 一般に福岡の人達は陽気で、親切で、開放的で、飾り気がなく、よそ者を快く迎える懐(ふところ)の深さがあると思います。
 それ故、伝統の精神を重んじながらも、新しいものもどんどん取り入れられています。
 男性は豪放磊落(ごうほうらいらく)で、反骨精神が強く、男気(おとこぎ)を大切にします。
 いわゆる「九州男児」の典型を見ることができます。
 また強引で、派手好き、遊び好きの一面もあります。
 しかしそんな男性を支えているのは忍耐強く、よく働き、気丈な福岡の女性だと思います。
 祭り好きで、女性は裏方で働き、男性が楽しむ祭が多いことが県民性を表しているのかもしれません。
 筑前地方と筑後地方ではその気質も少し異なるようです。
 一般的に筑前人の方が開放的で派手、筑後人の方が内向的で堅実だといわれています。

 

福岡の県木

 つつじ

 

福岡の県花

 梅 (飛び梅で有名な太宰府がある福岡の県花はやっぱり梅です。 福岡県のマークも梅をデザインしたものです。)

 

福岡の県鳥

 うぐいす

 

福岡出身の有名人

 福岡県出身の有名人は特に芸能界に多く、その一部をこちらで紹介します。

 

福岡の歴史

 

紀元前4万−3万 旧石器時代  この時代の遺跡に特に目立ったものはあまりない。
 北九州市辻田遺跡、福岡市諸岡遺跡、筑紫野市峠山遺跡、北九州市椎木山遺跡など。
紀元前1万− 縄文時代  縄文文化もあまり発達しなかったようで、貝塚の時代も短く、大陸文化の影響で早くひらけたため原始生活は短期に終わる。
 直方市(のおがたし)植木の天神橋遺跡、三池郡(みいけぐん)高田町(たかたまち)の渡瀬遺跡(わたせいせき)、福岡市大濠公園、宗像郡(むながたぐん)鐘ヶ崎遺跡(かねがさきいせき) 、遠賀郡(おんがぐん)山鹿遺跡、糸島郡広田遺跡など。
紀元前450− 弥生時代  大陸の影響で北部九州の人々が水稲栽培をもっとも早く始める。
 水稲栽培、弥生式土器、石包丁、石斧製造、銅剣、銅鐸など弥生文化は大きく発展する。
 水巻町(みずまきまち)立屋敷遺跡(たてやしきいせき)、福岡市板付遺跡、福岡市吉武遺跡群、飯塚市立岩遺跡、前原市(まえばるし)三雲(みくも)遺跡群、福岡市今山遺跡その他多くの遺跡ある。
 水稲栽培が広がるにつれ、村どうしの水や土地の奪い合いから争いが起こり、勢力争いの結果、小さな国ができていく。 「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると伊都(いと)、奴(な)などの小国がすでに存在していたことが記されている。
 西暦57年頃、奴国王(なのこくおう)は国どうしの勢力争いの中、漢と手を結ぼうと使者を送った。 後漢の光武帝(こうぶてい)から「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印(きんいん)が与えられる。 現在この金印は国宝に指定され、福岡市美術館に展示されている。
 倭国大乱の後、189年頃卑弥呼(ひみこ)が30ほどの国を従え、邪馬台国(やまたいこく)の女王になる。
 南方の狗奴国(くなこく)と対立関係にあり、当時中国で最も勢力のあった魏(ぎ)友好国になるため239年に卑弥呼が魏に使いを送り、明帝(めいてい)より「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印を与えられる。 現在、邪馬台国が存在した場所として福岡以外に奈良、佐賀、鹿児島など諸説がある。    
3世紀−6世紀 古墳時代  苅田町(かんだまち)の石塚山古墳(いしづかやまこふん)は現存する九州地方最古の古墳。
 その他八女市(やめし)の岩戸山古墳(いわとやまこふん)、浮羽郡(うきはぐん)吉井町の月ノ岡古墳(つきのおかこふん)、久留米市(くるめし)の日輪寺古墳(にちりんじこふん)その他多数ある。
 5世紀初め頃からは、大陸の影響を受けた装飾古墳や石人(せきじん)、石馬(せきば)の特徴的な古墳が多く見られる。 装飾古墳は筑紫郡(ちくしぐん)五郎山古墳(ごろうやまこふん)、嘉穂郡(かほぐん)王塚古墳(おうつかこふん)、浮羽郡(うきはぐん)珍敷塚(めずらしきづか)などが有名。 石人、石馬は八女市(やめし)岩戸山古墳、八女郡(やめぐん)広川町(ひろかわまち)一条(いちじょう)の石人山古墳(せきじんさんこふん)など。

 

 527 継体21  豪族の筑紫国造磐井(ちくしのくにのみやつこいわい)は大和朝廷の新羅(しらぎ)征伐の際、新羅(しらぎ)と組み朝廷に反乱を起こした。 物部氏(もののべし)が率いる朝廷郡と戦い破れる。 この磐井乱後、大和朝廷は初めて九州を統一する。
 536 宣化  大和朝廷は政治、軍事、外交を司る役所を設ける。 那津宮家(なつのみやけ)が現在の福岡市南区三宅に置かれたのが最初のもので、後に築紫の官家(つくしのみやけ)、筑紫大宰(つくしのたいさい)などと呼ばれた。 諸国屯倉(みやけ)に穀を運び、非常に備えた。
 608 推古16  遣隋使(けんずいし)小野妹子(おののいもこ)が大宰府の外港博多津から随に向かって出航する。 以後遣隋使、遣唐使(けんとうし)が度々博多津より出航する。
 609 推古17  「日本書紀」に初めて「筑紫大宰(つくしのおおきみこともち)」の名前がみえる。
 661 斉明7  斉明(さいめい)天皇、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)らが新羅出兵のため那ノ津に下るが、斉明天皇は朝倉宮(現在の朝倉郡朝倉町)にて崩御7する。 
 664 天智3  対馬(つしま)、壱岐(いき)、筑紫国などに防人(さきもり)と烽(すすみ)をおき、水城(みずき)をつくる。
 665 天智4  朝鮮の白村江(はくすきのえ)での日本水軍大敗後、唐、新羅(しらぎ)の来襲に備え、大宰府防備のため、百済(くだら)亡命貴族の億礼福留(おくらいふくる)や四比福夫(しひふくふ)らに命じて大野城(おおのじょう)と橡城(きいじょう)をつくらせる。
 666 天智5  筑紫の官家が海に近い三宅から現在の太宰府に移され、大規模な古代都市が建設された。
 688 持統2  筑紫の館(つくしのたち)(後の鴻臚館(こうろかん))の名が初めて史書に見える。 
 701 大宝元  この年に完成及び施行の大宝令で、太宰府と諸国の官制が完備され、また戸籍もつくられた。
 742 天平14  大宰府を廃すが3年後再び大宰府をおく。
 757 天平宝字元   櫛田神社が創建される。
 759 天平宝字3  「続日本書紀」に博多大津の名が初めて見える。
 805 延歴24  最澄(さいちょう)(伝教大師)が唐より帰朝して、観世音寺に泊まる。
 806 大同元  空海(くうかい)(弘法大師(こうぼうだいし))唐より帰朝し、真言宗の東長寺(とうちょうじ)を開く。 我が国最初の密教の霊場で、最初大水道(呉服町)にありましが後に焼け、2代目福岡藩主黒田忠之が御供所町(ごくしょまち)に移し、黒田家の菩提所とした。 
837 承和4  遣唐大使の記事に初めて鴻臚館(こうろかん)の名前が出てくる。 大陸との関係が良くなってくると、太宰府の役割も外交が主になり、博多にあった鴻臚館は外国使節用の迎賓館になった。 また太宰府は政治の中心というだけでなく、文化の中心にもなった。 また鴻臚館は警備のために警固所(けごしょ)をおき、これが後の警固村、現在の中央区警固の地名の元となる。 
850 嘉祥3  794年の平安遷都の頃から律令政治体制が崩れ始め、この年博多荘がつくられたのを始め、荘園が次々とつくられていく。
 865 貞観7  鴻臚館の名が初めて史書に見える。
 894 寛平6  遣唐大使菅原道真(すがわらのみちざね)の命により遣唐使を廃止する。
901 延喜1  右大臣菅原道真を大宰権帥に左遷。 2年後の903年、59歳で没する。 安楽寺境内(現在の太宰府天満宮の本殿)に葬られる。
 919 延喜19  生きものの供養をする箱崎放生会(はこざきほうじょうや)が始まる。 現在の放生会は9月12日から18日まで筥崎宮(はこざきぐう)で行われ、参道には400もの露天が並ぶ。
921 延喜21  大宰少弐ら八幡神の神託により筥崎宮を造立する。
 923 延長1  筥崎八幡宮創建。 759年と創建という説もある。 宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)とともに我が国三大八幡宮の一つ。 鎌倉時代の元寇(げんこう)の兵火などで度々焼けたがそのつど諸領主の手により再興される。
1161 応保1  平清盛(たいらのきよもり)が博多に我が国初の人工港、袖の港(そでのみなと)を建設する。 
1179 治承3  現在の博多どんたくの源流である博多松囃子(はかたまつばやし)が始まる。
1195 建久6  源頼朝(みなもとのよりとも)の命により栄西(えいさい)が博多に聖福寺(しょうふくじ)を開く。 我が国初の禅寺。 室町末期に兵火で焼けたが1568年に再興。
 栄西が宋から持ち帰った茶を日本で初めて背振山(せふりさん)に植え、岩上茶と称した。
1242 仁治3  宋よりの気化人謝国明(しゃこくめい)が承天寺(しょうてんじ)を構築し、宋より帰朝した弁円円爾(べんえんえんに)(聖一(しょういち))が開山する。 現在の博多駅前にある。
1243 寛元1  承天寺の聖一国師により博多祇園山笠が始まる。
1274 文永11  文永の役(ぶんえいのえき)。 元軍が対馬、壱岐を攻略後、博多湾に現れ今津より上陸。 室見から箱崎方面まで広い範囲で激しい戦いが続き、博多の町や筥崎宮が焼失。 元軍の集団戦法と鉄砲に悩まされ、日本軍は総退却し、元軍もいったん舟に引き上げる。 しかしその夜起こった台風で元軍が兵力と軍船の過半数を失い引き上げる。
1281 弘安4  弘安の役(こうあんのえき)。 兵を10万に増強して元軍は志賀島(しかのしま)、能古島(のこのしま)に来襲。 博多湾に築かれた石塁(せきるい)によって上陸をはばまれ、2ヶ月近く海上にあるうち、疫病に悩まされ、大暴風雨によって元軍の多くの舟が沈没する。
1333 元弘3  少弐氏(しょうにし)、大友氏、島津氏(しまずし)、菊池氏(きくちし)らが今の姪浜(めいのはま)にあった鎮西探題(ちんぜいたんだい)の北条英時を攻めて滅ぼす。
1336 延元1  足利尊氏(あしかがたかうじ)が多々良浜(たたらはま)(福岡市東区)で菊池武敏(きくちたけとし)らと戦い勝ち、東上する。
1341 興国2  博多商人至本が天竜寺舟にて元に向かい、天竜寺舟貿易が始まる。
1359 延文4  南朝方の諸勢力掌握のために送られた征西将軍壊良親王(せいせいしょうぐんかねながしんのう)と菊池武光(きくちたけみつ)が筑後川の合戦で少弐頼尚(しょうによりひさ)を破り、この時より大宰府を中心に栄えた。
1371 建徳2  幕府方の劣勢を挽回するために歌人としても有名な今川了俊(いまがわりょうしゅん)が九州探題として赴任。 豊後(ぶんご)の大友氏の協力を得て大宰府を攻め、菊池軍を破り、翌年大宰府を攻略した。 この頃より南朝方が衰退する。
1401 応水8  築紫の商客肥富(こいずみ)が足利義満(あしかがよしみつ)に対明貿易を勧め、明に向かい、勘合貿易(かんごうぼうえき)が始まる。
1539 天文8  博多商人の神屋寿禎(かみやじゅてい)が明より銀の採掘技術と精錬法を輸入し、石見銀山(いわみぎんざん)にて銀生産に革命を起こす。 日本は17世紀の始めに世界最大の銀産出国となるが、その先駆けとなった。
1546 天文15  フランシス・コザビエルが博多に来る。
1551 天文20  大内義隆(おおうちよしたか)が家臣の陶晴賢(すえはるかた)に攻められ自害する。 筑前守護代杉興運も自害する。 これを機に毛利氏(もうりし)が南下を図り、南からは肥前(ひぜん)の龍造寺氏(りゅうぞうじし)と島津氏(しまずし)が北上を図る。 これらの争いの舞台となった博多は度々兵火を受ける。
1568 永禄11  大賀宗白(おおがそうはく)、神屋宗湛(かみやそうたん)と並んで博多の三商傑(さんしょうけつ)の島井宋室(しまいそうしつ)が朝鮮と貿易をする。
1585 天正13  島津家(しまづけ)は立花城を攻め、博多に火を放って退く。
1587 天正15  豊臣秀吉が豊前岩石城(ぶぜんがんじゃくじょう)を落とし、筑前尾熊城に至り、筑前は平定される。 筑前と筑後などを小早川隆景(こばやかわたかかげ)、豊前2郡を毛利勝信、6郡を黒田孝高(くろだよしたか)(如水(じょすい))に与える。 
 九州征伐の帰途、豊臣秀吉は博多町割(はかたまちわり)を定め、今日の博多の原型を築く。
 また筥崎(はこざき)においてキリスト教禁止令を出す。
1592 文禄1  豊臣秀吉が朝鮮出兵のため肥前名護屋(ひぜんなごや)へ出陣のおり、博多商人の神屋宗湛(かみやそうたん)邸で遊ぶ。
1595 文禄4  小早川秀秋(こばやかわひであき)が名島城(なじまじょう)にて博多松囃子(はかたまつばやし)を見る。 名島城は現在も福岡市東区名島に城跡がある。
1600 慶長5  関ヶ原の戦い後、筑前は名島城主の小早川秀秋に代わって黒田長政(くろだながまさ)に与えられ、黒田家は明治維新まで筑前を治めた。 福岡の名は黒田氏先祖の地、現岡山県の備前福岡(びぜんふくおか)にちなんでつけられた。 福岡は那珂川(なかがわ)を境に東は商人の町博多として、西は武士の町、城下町福岡として発達する。
 小早川秀秋は備前へ移る。
 豊前は細川忠興(ほそかわただおき)、筑後は田中吉政(たなかよしまさ)に与えられる。
1601 慶長6  黒田長政が那珂郡警固村福崎(なかぐんけごむらふくざき)の鴻臚館跡に福岡城を築城開始。 全て完成したのは1607年。 石は名島城から運び、天守閣はつくらなかった。
 毛利勝信は土佐に流される。
1602 慶長7  黒田長政が名島城から福岡城に移る。
1620 元和6  筑後を治めていた田中忠政に嗣子(しし)がいなかったので、改易。 久留米を有馬豊、柳川を立花宗茂が領するようになる、それぞれ明治維新まで続く。
1623 元和9  黒田長政没後、福岡藩初代藩主の黒田長政と、徳川家康の幼女との間に生まれた嫡子の黒田忠之(くろだただゆき)が領主となる。
1632 寛永9  細川氏が熊本へ移り、播磨国明石(はりまのくにあかし)から小笠原忠真が小倉に入る。
1632 寛永9  黒田騒動。 黒田忠之は不行跡が多く、三家老から謀反の企てありと訴えられる。 謀反の疑いはとけたが、将軍の徳川家光(とくがいえみつ)より藩内取締まりが悪いと罰せられる。
1687 貞享4  博多祇園山笠(はかたぎおんやまがざ)が始まる。
1695 元禄8  福岡藩に仕えた農学者の宮崎安貞(みやざきやすさだ)が「農業全書」を著す。
1703 元禄16  福岡藩に仕えた朱子学者の貝原益軒(かいばらえきけん)が「筑前続風土記(ちくぜんのくにぞくふうどき)」を著す。
1732 享保17  享保(きょうほう)の大飢饉。 1732年から3年間、全国で死者264万5千人に及ぶ大飢饉がおこる。 博多でも当時の人口の3分の1にあたる6千人が死亡する。 主因は干害、水害、虫害、疾害と多くあった。
1784 天明4  博多湾口の志賀島(しかのしま)で「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印(きんいん)が発見される。
1863 文久3  尊皇派(そんのうは)の平野国臣(ひらのくにおみ)が生野に出兵するが、近隣諸藩の兵に敗れて捕らえられ、翌年京都の六角の獄に移され、禁門の変にさいし新撰組(しんせんぐみ)の手によって処刑される。
1866 慶応2  小笠原長行(おがわさらながゆき)が長州征伐郡指揮のため、小倉に入る。 長州藩の攻撃を受け小倉城焼失。
1869 明治2  版籍奉還により筑前の福岡藩、秋月藩、筑後の久留米藩、柳川藩、三池藩、 豊前の豊津藩、千束藩、中津藩の計8藩の藩主が藩知事になる。
1871 明治4  黒田長知(くろだながとも)は財政難のため贋札(にせさつ)を造り免官処分になる。 代わって有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が藩知事になる。 
 廃藩置県により、筑前は福岡県、筑後は三瀦県(みずまけん)、豊前は小倉県に統合される。
 福岡博多に郵便物取扱所を置く。
1872 明治5
1873 明治6
1876 明治9  小倉県と三瀦県の筑後一帯を福岡県に統合。 福岡県から下毛(しもづけ)と宇佐(うさ)の2郡が大分県に割譲。
 秋月の乱が起こる。 旧秋月藩士の宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)、今村百八郎らが熊本の神風連(じんぷれん)と友に蜂起した。
 福岡県庁が建築され、城内より天神町に移る。
 福岡市東公園を開く。 
1877 明治10  福岡の変が起こる。 西南戦争に応じて武部小四郎(たけべこしろう)、越智彦四郎(おちひこしろう)ら800人が結束した。 蜂起して福岡城を襲うが政府側の厳しい厳戒態勢の中、実際参加できたのはわずか160人余りで、失敗に終わる。 首脳陣5人が死刑、その他444人が懲役などの処罰を下される。
 獄中にあって福岡の変に参加できなかった頭山満(とうやまみつる)を中心に開墾社(かいこんしゃ)が設立される。
 「筑紫新報
(ちくししんぽう)」創刊される。
 九州最初の銀行の第17国立銀行開業される。
1878 明治11  開墾社と成美義塾(せいびぎじゅく)と合併して向陽社(こうようしゃ)となる。 社員1000人余りのうち約400人が福岡の変に関係した氏族だった。 また向陽社には教育機関の向陽義塾も付属していた。
1880 明治13  光陽社内の政治活動推進派の平岡浩太郎(ひらおかこうたろう)、箱田六輔(はこだろくすけ)、頭山満などを中心に独立して玄洋社を結社、福岡県警察本署に届け出て、正式の設置の認可を受ける。
 「筑紫新報」を「福岡日日新聞」と改め、日刊紙となる。
1881 明治14  福岡市西公園を開く。 園内には2500本余りのサクラが植えられ花見の名所として有名。 藩祖の黒田孝高(くろだよしたか)、長政(ながまさ)親子を祀った(まつった)光雲神社や、幕末の尊皇派の平野国臣(ひらのくにおみ)の銅像などがある。 展望台からは博多湾が一望できる。
1887 明治20  東中洲で第5回九州沖縄八県連合共進会を開く。
1888 明治21  九州鉄道会社成立。 翌年、博多−久留米間が開通し、博多駅営業が開始する。
1889 明治22  市制、町村制施行により福岡、久留米に市制をしく。 福岡と博多が合併して一つの市になる。 名前を福岡市にするか博多市にするか結論が出ず、市会議員の投票の結果1票差で福岡市になる。 それで駅名は博多に譲る。 福岡市の人口は50847人。
 筑豊興業鉄道会社成立。
 玄洋社員の来島垣喜が外相大隈重信(おおくましげのぶ)を襲撃し、自殺する。
1890 明治23  大阪で開かれた第2回内国勧業博覧会に博多素焼人形を出品、褒賞される。 その時の褒賞状に「素焼」の文字が抹消され、単に「博多人形」となっていたので、この時から「博多人形」が正式名称となる。
1892 明治25  「門司新報」を創刊される。
1893 明治26  オッペケペーの川上音二郎(かわかみおとじろう)が博多入りする。
1896 明治31  玄洋社出身の平岡浩太郎は自由党と改進党を合同させて憲政党をつくり、我が国初の政党内閣、隈板内閣を誕生させた。
 博多電灯株式会社が設立を認可される。
1897 明治30  九州鉄道会社と筑豊鉄道株式会社が合併する。
1900 明治33  博多築港(はかたちっこう)起工される。
1901 明治34  官制八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)設立される。
1903 明治36  京都帝国大学福岡医科大学が設置される。 東京帝国大学、京都帝国大学に続いて第3の帝国大学で、福岡、熊本、長崎が誘致を争いかろうじて福岡が誘致に成功する。 のちに九州帝国大学、そして現在の九州大学になる。
1907 明治40  九州鉄道会社、前年公布の鉄道国有法により前々を政府に引き渡す。
1910 明治43  九州で初めての市内電車の福博電車(ふくはくでんしゃ)が医大前−西公園間、呉服町−博多駅間で開通。 共進会に間に合わせるために工事が急がれる。
 第13回九州沖縄8県連合共進会を開く。 共進会とは産業をすすめるため各地の産業を発表する博覧会で、全国から5万5千点の出品があり91万人の入場者があった。
 大学の誘致成功、共進会の成功、市電の開通などを機に福岡市は九州の中心都市になる。
1911 明治44  九州帝国大学が設置される。
 大学誘致や共進会にも協力した九州一の呉服商の渡辺与八郎(わたなべよはちろう)は、博多駅と海岸をつなぐ博多電気軌道(博軌電車(はっきでんしゃ))を開通させる。 1914年に全然開通する。 渡辺与八郎の死後、天神−柳橋間は彼の名にちなんで渡辺通りと名付けられる。
1915 大正4  福岡県庁新庁舎が完工する。
1918 大正7  福岡県立図書館が開館される。 米騒動が門司、筑豊、久留米地方など次々と起こる。
1920 大正9  八幡製鉄所争議が起こる。
1921 大正10  福岡高等学校創設される。
 福岡女学院が米国人宣教師のエリザベス・リー校長の考えで、日本初のセーラー服を作って制服とする。 80年近く経った今も当時のデザインとほとんど変わっていない。
1922 大正11  現在の女子大の、福岡県立女子専門学校が設置される。
1923 大正12  全九州水平社が結成される。
 福岡市庁舎が完成される。
1924 大正13  現西鉄大牟田線の九州鉄道、福岡−久留米間55分が開通する。 1939年には大牟田(おおむた)まで開通する。
 三井三池製作所争議起こる。
1925 大正14  福岡−大阪間の定期飛行郵便が日本航空会社により始まる。
 玉屋百貨店が市内最初のデパートとして開店する。 1999年7月に経営難のため閉店する。
1927 昭和2  東亜勧業博覧会が開催される。
1929 昭和4  福岡県下に大干ばつがおこる。
1930 昭和5  大濠公園(おおほりこうえん)完成。 草香江(くさがえ)と呼ばれた大きな入り江が福岡城の外堀となり、その後半分埋め立てられ中国の西湖を模して美しい大濠公園となった。 博多湾と黒門川でつながっていて、満潮時には海水が流れ込む。 そのためコイ、フナ以外にボラ、サヨリなど淡水魚と海水魚の両方が釣れる。 日本庭園、能楽堂もあり、付近には福岡城跡や福岡市美術館がある。 
 現NHKラジオ、福岡放送局が開局する。
1931 昭和6  ブリヂストンタイヤ株式会社成立する。
 筑豊炭田争議が起こる。
1934 昭和9  西日本製鉄株式会社成立する。
1936 昭和11  岩田屋百貨店が開店する。
1942 昭和17  九州配電株式会社成立される。
 政府の1県1紙の方針により「福岡日日新聞」と「九州日報」が合併して「西日本新聞」発刊される。
 県内5私鉄が統合され、西日本鉄道株式会社が成立する。
 関門鉄道トンネル開通する。
1944 昭和19  北九州が初の空襲にあう。
1945 昭和20  福岡市大空襲。 6月19日の夜、米軍爆撃機B29が221機が焼夷弾(しょういだん)で攻撃する。 1万2000戸が焼け、千数百人が死亡。 続いて門司、大牟田、北九州、久留米が次々と空襲にあう。
 終戦後、福岡県内主要都市へ進駐が始まる。
 軍人や民間人が次々と博多港より引き揚げて来る。
1946 昭和21  夕刊フクニチ発刊される。
 新天町商店街公社が営業を開始する。
1947 昭和22  県知事選挙実施、初代の公選知事に杉本勝次当選する。
1948 昭和23  福岡城跡に市民運動場が完成、平和台競技場と名付けられる。 京都、金沢に続いて、第3回国民体育大会秋季大会がこの平和台陸上競技場で開催される。 この大会で戦後初めて占領軍から国旗掲揚が許される。
1949 昭和24  新制大学制度が始まる。 新制九州大学、福岡学芸大学設置される。
1950 昭和25  日本製鉄株式会社が八幡製鉄株式会社と富士製鉄株式会社などに分離される。
 平和台球場が完成する。
1951 昭和26  九州電力株式会社発足する。
 戦後米空軍の基地になり、朝鮮戦争にも利用されていた板付飛行場(いたづけひこうじょう)が一部使用できるようになり、民間航空が再開される。
 米軍機が福岡市内住宅地に墜落炎上、住民11人が焼死する。
 平和台球場をホームグラウンドに西鉄ライオンズ誕生する。  のちに西武ライオンズになる。
1953 昭和28  大丸百貨店が開店する。
1956 昭和31  NHK福岡放送局が九州発のテレビ放送開始する。
 西武ライオンズがピッチャー稲尾和久(いなおかずひさ)や天才バッター中西太(なかにしふとし)などの活躍で1956年から1958年まで3年連続して日本シリーズ優勝する。
1957 昭和32  大相撲(おおずもう)九州場所が本場所になり、四場所制から五場所制になる。 のちに名古屋場所が加わり六場所制になる。
1958 昭和33  関門国道トンネル開通する。
 炭鉱不況が深刻になる。
 ラジオ九州テレビ局、現RKB毎日が開局する。
 テレビ西日本、現TNCが開局する。
1959 昭和34  KBC九州朝日放送テレビが開局する。
1960 昭和35  三井鉱山、三池炭鉱の全面ロックアウトを実施する。 労働組合側は無制限ストに突入する。 三池争議が本格的になる。
 福岡市米国オークランド市と姉妹都市を提携する。
1962 昭和37  若戸大橋開通する。
1963 昭和38  門司、小倉、八幡、若松、戸畑(とばた)の5市が合併して北九州市が発足する。
 国鉄博多駅新駅で営業開始する。
1965 昭和40  山野炭鉱でガス爆発が起こり、死者458人になる。
 県営総合プールが完成する。
1966 昭和41  朝日国際マラソンが福岡国際マラソン選手権大会となり、毎年12月に開催されている。
1968 昭和43  国立九州芸術工科大学が塩原に設置される。
1969 昭和44  油山市民の森が開設される。
 FBS福岡放送が開局する。
 FM福岡が放送開始する。
1970 昭和45  八幡製鉄所と富士製鉄が合併して新日本製鉄株式会社になる。
1972 昭和47  福岡市が政令指定都市になり、札幌、東京、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、北九州と並んで10大都市の1つとなる。
 福岡市は中央区、博多区、東区、南区、西区の5区に分けられる。 のちに西区は西区、城南区(じょうなんく)、早良区(さわらく)に分けられ、全部で7区になる。
 福岡空港がアメリカ軍より26年ぶりに返還され民間空港になり、福岡国際空港となる。
1973 昭和48  関門橋が開通して、関門自動車道ができる。
1975 昭和50  山陽新幹線岡山−博多間が開通して、博多−東京間が6時間になる。
 福岡市の人口が100万人突破する。
 車の増加にともない、交通渋滞を引き起こす福岡市路面電車が廃止される。
1976 昭和51  福岡市の天神地下街が完成する。
1979 昭和54  中国広州市と友好市締結する。
 福岡市美術館が開館する。
 市内電車廃止。
1981 昭和56  九州初の地下鉄の福岡市営地下鉄第1号線部分が開業する。
 福岡県新庁舎東公園に完成する。
1982 昭和57  福岡市がフランスボルドー市と姉妹都市締結する。
1984 昭和59
1985 昭和60  北九州都市モノレール開業する。
1986 昭和61  福岡市がニュージーランドオークランド市と姉妹都市締結する。
1987 昭和62  国鉄の分割、民営化によりJR九州誕生する。
 福岡市平和台球場の外野スタンドで鴻臚館(こうろかん)跡が発見される。 中国や朝鮮の陶器、古銭、イスラムのガラス片などが次々と出土する。 実物大に復元され鴻臚館跡展示館で公開されている。 現在も発掘調査が続いている。
1988 昭和63  福岡市新庁舎完成する。
1989 平成1  福岡市制100周年を迎える。
 福岡市でアジア太平洋博覧会「よかトピア」が開催される。
1990 平成2  第45回とびうめ国民体育大会秋期大会開催される。
1992 平成4
1994 平成6  博多湾人口島が着工される。
1995 平成7  第18回ユニバーシアード福岡大会が開催される。
 シーホークホテル&リゾートが百道浜にオープン。
1996 平成8  岩田屋Zサイドオープンするが、ターゲット顧客の女性年齢を発表したため批判を浴びる。
 キャナルシティー博多オープン。
1997 平成9  福岡だけでなく、日本の工業を引っ張り、多くの犠牲者も出した三池炭鉱が閉山する。 雇用問題など多くの問題が残る。
 福岡三越、エルガーラが天神にオープン。
1998 平成10  福岡県の人口が500万人を超える。
1999 平成11  福岡空港新国際線旅客ターミナルオープン。
 福岡都市高速道路と太宰府ICが直結。
2000 平成12  九州・沖縄サミットで、蔵相会合開催。
 アジア・太平洋環境大臣会議in北九州開催。
2001 平成13  第9回世界水泳選手権大会福岡2001開催。
2002 平成14  ロボカップ2002を釜山と共同開催。
2003 平成15  海峡ドラマシップが門司港に開館。 関門海峡の歴史、文化、自然を紹介する。
 福岡国際会議場が開館。
2004 平成16  第19回国民文化祭・ふくおか2004(愛称 とびうめ国文祭)開催。
2005 平成17  福岡県西方沖地震発生。
 九州国立博物館が太宰府市石坂に開館。
2006 平成18  五輪招致に立候補するが、東京に敗れる。
2007 平成19

 

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