福岡っちゃあどげんなとこかいな? |
福岡出身・ゆかりの有名人 |
福岡県出身の有名人は特に芸能界に多く、その一部を紹介します。(敬称略)
政治家
広田弘毅 (ひろたこうき) |
政治家。 福岡出身の唯一の総理大臣。 1878年(明治11年)現・福岡市中央区に生まれる。 福岡県中学修猷館(しゅうゆうかん)(現・福岡県立修猷館高校)、東京帝国大学(現・東京大学)卒業。 1933年に外務大臣に、1936年に総理大臣に就任。 戦争に反対して、外交努力で平和的解決を試みるが、軍部との衝突で10ヶ月あまりで総辞職する。 戦争反対の立場であったにもかかわらず、戦後A級戦犯に指名される。 1948年(昭和23年)絞首刑により、71歳でその生涯を終える。 |
楢崎弥之助 (ならざきやのすけ) |
政治家。 社民党衆議院議員。 1920年(大正9年)生まれ。 福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高校)、九州帝大(現・九州大学)卒業。 1960年(昭和35年)社会党より出馬して初当選、以降11期連続当選。 1977年(昭和52年)社会党を離脱して、田英夫、泰豊と社会クラブを結成。 1978年(昭和53年)社会市民連合と社会クラブが合流して、社会民主連合結成。 国会の爆弾男の異名を持つ。 |
田中六助 (たなかろくすけ) |
政治家。 自民党衆議院議員。 1923年(大正12年)田川郡上野村(現・福智町)生まれ。 田川中学(現・福岡県立田川高等学校)、興亜専門学校(現・亜細亜大学)卒業後、海軍飛行予備学生になる。 特攻隊として出陣直前に終戦を迎える。 戦後、早稲田大学政経学部新聞学科に入学 卒業後、日本経済新聞社に入社。当時の池田勇人総理大臣に可愛がられる。 一度の落選後、当選。1980年(昭和55年)通商産業大臣として初入閣。 1985年(昭和60年)糖尿病の悪化による心筋梗塞のため62歳で逝去。 |
山崎拓 (やまさきたく) |
政治家。 自民党衆議院議員。 1936年(昭和11年)生まれ。 福岡県立修猷館高校、早稲田大学第一商学部を卒業。 福岡県議1期を経て、自民党から衆議院福岡県第2区より出馬して、1999年までに当選9回、内閣官房副長官、防衛庁長官、建設相を歴任、現・在自民党政務調査会長。 |
麻生渡 (あそうわたる) |
政治家。 福岡県知事。 1939年(昭和14年)北九州市戸畑区に生まれる。 福岡県立戸畑高校、京都大学法学部卒業。 通商産業省入省。 1995年(平成7年)福岡県知事に当選。 現・在4選目。 2005年(平成17年)九州初の全国知事会会長に再任。 柔道4段。 |
麻生太郎 (あそうたろう) |
政治家。 自民党衆議院議員。 実業家。 1940年(昭和15年)飯塚市生まれ。 小学校3年生頃上京。 学習院大学卒業。 1973年(昭和48年)から1979年(昭和54年)まで麻生セメント株式会社代表取締役社長。 1976年(昭和51年)クレー・スケートの選手としてモントリオールオリンピックに出場。 1979年(昭和54年)衆議院議員に当選。 |
古賀誠 (こがまこと) |
政治家。 自民党衆議院議員。 1940年(昭和15年)瀬高町(現・みやま市)に生まれる。 福岡県立山門高等学校、日本大学商学部を卒業。 1980年(昭和55年)衆議院選挙に初当選。 1996年(平成8年)運輸大臣として初入閣。 2000年(平成12年)自民党幹事長に就任。 2007年(平成19年)自民党選対委員長に就任。 |
山本幸三 (やまもとこうぞう) |
政治家。 自民党衆議院議員。 1948年(昭和23年) 生まれる。 福岡県立京都高等学校、東京大学経済学部卒業。 大蔵省に入省。 1993年(平成5年)に新政党から出馬して初当選。 1997年(平成9年)新生党解党後、自民党に入党。 |
桝添要一 (ますぞえよういち) |
国際政治学者。 1948年(昭和23年)北九州市八幡東区に生まれる。 福岡県立八幡高等学校、東京大学法学部政治学科卒業。 東京大学教養学部政治学助教授になる。 1999年都知事選に立候補するが落選。 テレビなどでタレントとしても活躍。 |
北原白秋 (きたはらはくしゅう) |
詩人、歌人。 1885年(明治18年)熊本県南関町生まれ。 その後、柳川に転居。 早稲田大学文科中退。 「明星」に詩歌を発表して認められ、「スバル」に参加する。 26歳の時「朱欒」を創刊。 詩集「邪宗門」で詩人として、歌集「桐の花」、「雲母集(きららしゅう)」で歌人として認められる。 多くの童謡を児童雑誌「赤い鳥」に発表する。 童謡の代表作は「ゆりかごのうた」、「砂山」、「からたちの花」、「この道」、「ペチカ」、「あわて床屋」、「待ちぼうけ」、「城ヶ島の雨」、「ちゃっきり節」等。 1942年(昭和17年) |
火野葦平 (ひのあしへい) |
小説家。 1907年(明治40年)遠賀郡若松町(現・北九州市若松区)生まれ。 小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)卒業、早稲田大学英文科中退。 1937年(昭和12年)「糞尿譚」で芥川賞を受賞。 「麦と兵隊」、「土と兵隊」、「花と兵隊」は兵隊三部作として300万部以上のベストセラーとなる。 戦後は従軍作家として戦争責任を追及され、3年間の公職追放処分を受ける。 追放解放後は「花と竜」等の作品で人気作家として復活。 1960年(昭和35年)、河伯洞の2階で睡眠薬自殺。 享年53歳。 |
壇一雄 (だんかずお) |
小説家、作詞家。 1912年(明治45年)山梨県生まれ。 2歳の時、福岡へ。 福岡高等学校、東京帝国大学経済学部卒業。 1951年(昭和26年)「長恨歌」、「真説石川五右衛門」の2作で直木賞受賞。 晩年、能古島に転居。 代表作は「リツ子・その愛」、「リツ子・その死」等。 「西遊記」の和訳もする。 遺作となった「火宅の人」は九州大学病院の病床で口頭筆記で完成させた。 1976年(昭和51年)肺腫瘍のため63歳で逝去。 |
梅崎春生 (うめざきはるお) |
小説家。 1915年(大正4年)生まれ。 福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高校)、東京帝国大学国文科卒業。 第二次世界大戦中の海軍での体験を基に書いた「桜島」で認められる。 1954年(昭和29年)「ボロ家の春秋」で直木賞受賞。 他に「風宴(ふうえん)」、「日の果て」、「幻化(げんか)」等。 1965年(昭和40年)肝硬変のため51歳で急逝。 |
林芙美子 (はやしふみこ) |
小説家。 1903年(明治36年)北九州市門司区生まれ。(下関市説もある) 各地を転々とした後、広島県尾道に落ち着く。 尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高等学校)卒業。 代表作は「放浪記」、「うず潮」、「浮雲」、「めし」等。 1951年(昭和26年)に心臓麻痺のため、48歳で逝去。。 |
松本清張 (まつもとせいちょう) |
小説家。 1909年(明治42年)企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)生まれ。 1953年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。 その後推理小説を書き始め「点と線」、「ゼロの焦点」、「黒い樹海」、「波の塔」、「砂の器」、「わるいやつら」、「けものみち」、「黒革の手帳」、「迷走地図」等の次々とベストセラーを出す。 何度も映像化された作品が多い。 1992年(平成4年)肝臓癌のため、82歳で逝去。 2002年(平成14年)北九州市松本清張記念館が開館。 書斎や書庫を再現・している。 |
五木寛之 (いつきひろゆき) |
小説家、作詞家、評論家。 1932年(昭和7年)八女市生まれ。 早稲田大学中退。 1967年(昭和42年)「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。 「青春の門」、「大河の一滴」、「風に吹かれて」、「内灘婦人」、「燃える秋」等。 リチャード・バッグの「かもめのジョナサン」の翻訳等も手がける。 |
赤川次郎 (あかがわじろう) |
小説家。 1948年(昭和23年)福岡市生まれ。 東京都の私学桐朋高等学校卒業。 「セーラー服と機関銃」、「探偵物語」、「晴れ時々殺人」、「三毛猫ホームズ」シリーズ、「結婚案内ミステリー」、「ふたり」等の映像化された作品が多い。 |
中村うさぎ | 小説家、エッセイスト、コピーライター、漫画原作者。 1958年(昭和33年)北九州市生まれ。 その後父親の転勤で横浜、大阪へ。 同志社大学卒業。 買い物依存症、ホスト依存症、プティ整形等、プライベートの赤裸々な題材も多い。 |
リリー・フランキー | 小説家、イラストレーター、デザイナー、ミュージシャン、構成作家、演出家。 1963年(昭和38年)北九州市小倉生まれ。 5歳から中学卒業まで鞍手郡宮田町(現・、若宮市)で育つ。 武蔵野美術大学卒業。 小説「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」は200万部を越すベストセラーになる。 NHKアニメ「おでんくん」の原作。 フジテレビ「ココリコミラクルタイプ」のレギュラー。 |
貝原益軒 (かいばらえきけん) |
朱子学者。 1630年(寛永7年)生まれ。 筑前福岡藩士の五男として生まれる。 江戸や京都で多くの学者と交わり、1664年に藩の儒官として福岡に帰る。 経験的実学への志向を強め、「大疑録」で朱子の理気二元論を否定して気一元論を説き、生得の性を拡充する独特の実践哲学を広めた。 その他「黒田家譜(くろだかふ)」、「筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふうどき)」、「大和本草(やまとほんぞう)」、「養生訓(ようじょうくん)」などの著書がある。 金龍寺(きんりゅうじ)(福岡市中央区今川)に墓と銅像がある。 |
畑正憲 (はたまさのり) |
生物学者、小説家、エッセイスト。 ムツゴロウの愛称で親しまれる。1935年(昭和10年)福岡市生まれ。 その後、満州に渡り、太平洋戦争中に帰国。 父親の郷里である大分県日田市で、高校卒業まで過ごす。 東京大学理学部動物学科卒業。 1977年(昭和52年)に菊池寛賞受賞。 北海道にムツゴロウ動物王国を開園。 2004年(平成16年)に東京にムツゴロウ動物王国を移転して、一般公開するが経営破たん。 2007年(平成19年)に北海道に帰る。 |
長谷川町子 (はせがわまちこ) |
漫画家。 1920年(大正9年)佐賀県多久市生まれ。 山脇高等女学校(現・山脇学園短期大学)卒業。 第二次世界大戦中に疎開していた福岡県で西日本新聞社の校閲係として勤務。 1946年(昭和21年)福岡県の地方紙「夕刊フクニチ」に4コマ漫画の「サザエさん」の連載を始める。 その他「いじわるばあさん」、「エプロンおばさん」、「新やじきた道中記」等。 1992年(平成4年)に72歳で逝去。 没後、国民栄誉賞授与。 |
松本零士 (まつもとれいじ) |
漫画家。 1938年(昭和13年)久留米市生まれ。 生年月日は石野森章太郎と同じ。 福岡県立小倉南高等学校卒業。 代表作は「銀河鉄道999」、「宇宙船間ヤマト」、「男おいどん」、「光速エスパー」等。 映像化された作品も多い。 松本あきらのペンネームも持つ。 宝塚造形芸術大学教授、京都産業大学客員教授。 |
長谷川法世 (はせがわほうせい) |
漫画家。 1946年(昭和21年)博多区生まれ。 福岡県立福岡高等学校卒業。 「博多っ子純情」、「ぼくの西鉄ライオンズ」、「がんがらがん」等。 「走らんか!」は1995年後半のNHK連続テレビ小説の原作。 テレビ番組の司会者も勤める。 九州造形短期大学客員教授。 |
小林よしのり (こばやしよしのり) |
漫画家。 1953年(昭和28年)福岡市生まれ。 福岡市立福岡商業高等学校(現・福岡市立福翔高等学校)、福岡大学人文学部フランス語科卒業。 「東大一直線」、「おぼっちゃまくん」、 「ゴーマニズム宣言」シリーズでは政治や社会問題を時には傲慢に、時には過激に主張している。 それゆえ、様々なトラブルや異論を唱える人も多い。 テレビの討論番組等にも度々出演して、持論を展開している。 |
倉田真由美 (くらたまゆみ) |
漫画家。 1971年(昭和46年)福岡生まれ。 福岡県立福岡高等学校、一橋大学商学部卒業。 就職活動失敗をきっかけに漫画家になる。 自身の体験を画いた「だめんず・うぉ〜か〜」で世に広く知られるようになる。 テレビの情報番組等にも出演。 愛称くらたま。 現・在、東京と福岡を行き来する生活。 |
仰木彬 (おおぎあきら) |
野球選手。 1935年(昭和10年)生まれ。 東筑高校卒業。 西鉄から近鉄へ、その後オリックスの監督になり1996年には日本一に導く。 公式戦通算成績は打率229、本塁打70、打点326、試合数1328。 |
真弓明信 (まゆみあきのぶ) |
野球選手。 1953年(昭和28年)生まれ。 熊本県玉名郡南関町生まれだか、幼少の時より大牟田市で育つ。 柳川商高卒業。 1972年に西鉄に入団。 1979年田淵幸一とのトレードで若菜嘉晴、竹之内雅史等と阪神へ。 |
若菜嘉晴 (わかなよしはる) |
野球選手。 1953年(昭和28年)生まれ。 筑後市出身。 柳川高商では真弓明信と同級生。 1972年に西鉄ライオンズに入団。 1979年田淵幸一とのトレードで若菜嘉晴、竹之内雅史等と阪神へ。 その後大洋、日本ハムへ。 ダイエーのコーチになり城島健司を指導する。 |
山倉和博 (やまくらかずひろ) |
野球選手。 1955年(昭和30年)生まれ。 東邦高校、早稲田大学卒業。 巨人の捕手の後、巨人のコーチに。 公式戦通算成績は打率231、本塁打113、打点426、試合数1262。 |
新庄剛志 (しんじょうつよし) |
野球選手。 1972年(昭和47年)生まれ。 西日本短大付属高校卒業。 タイガースの選手。 野村新監督の指導の元二刀流にも挑戦。 ベストナインやゴールデングラブ賞を受賞。 |
豊ノ海 (とよのうみ) |
力士。 1965年(昭和40年)豊前市生まれ。二子山部屋。 本名濱田真二。 身長190cm、体重217kgの恵まれた体格。 1999年3月場所で引退。 最高位は西前頭筆頭。 初土俵から引退まで、1316回連続出場、休場無し。 |
魁皇 (かいおう) |
力士。 1972年(昭和47年)直方市生まれ。 友綱部屋。 本名古賀博之。 身長185cm、体重169kg。 最高位は大関。 直方市が後援会をつくり応援して、白星のたびに花火が上げられる。 |
君原健二 (きみはらけんじ) |
マラソン選手。 1941年(昭和16年)北九州市小倉生まれ。 福岡県立戸畑中央高等学校卒業。 八幡製鉄(現・新日本製鐵)に入社。 1964年(昭和39年)の東京オリンピック8位になる。 1966年(昭和41年)ボストンマラソンで優勝。 1968年(昭和43年)メキシコオリンピックで銀メダル獲得。 1972年(昭和47年)のミュンヘンオリンピックでは31歳で5位入省入賞する。 引退後、九州女子短期大学教授を務めた。 |
谷川真理 (たにがわまり) |
マラソン選手。 1962年(昭和37年)福岡市生まれ。 武蔵野高校、一橋スクールオブビジネス卒業。 一般企業のOL時代に市民マラソン大会で優勝を機に、1990年(平成2年)資生堂入社。 東京国際女子マラソン、ゴールドコーストマラソン、パリマラソン、マウイマラソンで優勝するも、オリンピック出場は果たせず。 マラソン大会解説やタレント活動もする。 |
古賀稔彦 (こがとしひこ) |
柔道選手。 1967年(昭和42年)生まれ。 7歳で柔道を始め、中学で上京し、名門私塾の講道学舎に入門する。 バルセロナオリンピックではひざの怪我をおして金メダル。 平成の三四郎と呼ばれる。 社会福祉法人慈雄会所属。 |
田村亮子 (たむらりょうこ) |
柔道選手。 1975年(昭和50年)生まれ。 福岡工業大学付属高校、帝京大学卒業。 1990年に福岡国際女子柔道の48キロ級で国際試合初挑戦にして史上最年少優勝。 人気劇画の主人公にちなんだ「YAWARAちゃん」の愛称で呼ばれる。 バルセロナ、アトランタ両オリンピックで銀メダル。 アトランタオリンピックでは旗手を務める。 |
鬼塚勝也 (おにつかかつや) |
プロボクサー。 1970年(昭和45年)北九州市生まれ。 協栄ジム入門。 WBA世界スーパーフライ級チャンピョンとして5回防衛。 片岡鶴太朗がマネージャーを務めた時期もある。 TBSの亀田兄弟の試合の解説をして、亀田寄りの発言が批判の的となる。 |
佐々木健介 (ささきけんすけ) |
プロレスラー。 1966年(昭和41年)福岡市南区生まれ。 東福岡高校卒業。 中学より柔道を始める。 1985年(昭和60年)ジャパンプロレス入門、翌年後楽園ホールでデビュー。 ジャパンプロレス分裂後、1987年(昭和62年)新日本プロレス入団。 2002年(平成14年)WJプロレスに移籍。 2003年(平成15年)にフリーになる。 妻の女子プロレスラー北斗晶と共にタレントとしても活躍。 恐妻家キャラで人気がでる。 |
本田泰人 (ほんだやすと) |
サッカー選手。 1969年(昭和44年)生まれ。 北九州市出身。 響南中学、東京帝京高校卒業後、本田技研に入団、 1992年に鹿島に移籍する。 身長166cmと小柄ながらベストイレブンにも選ばれたり、1995年には日本代表になる。 |
中野浩一 (なかのこういち) |
競輪選手、自転車競技選手。 1955年(昭和30年)久留米市の両親共に競輪選手の家に生まれる。 福岡県立八女工業高等学校時代陸上選手として活躍。 日本競輪学校卒業。 世界自転車選手権で初参加の1976年(昭和51年)より10連覇。 2006年(平成18年)に競輪選手出身者初の紫綬褒章受章。 現在は競輪解説者、スポーツコメンテーター、タレントと活躍。 アデランスのCMキャラクター。 |
福井烈 (ふくいつよし) |
テニス選手。 1957年(昭和32年)門司市(現・北九州市門司区)生まれ。 柳川高等学校卒業、アメリカ留学を経て中央大学中退。 1977年(昭和52年)史上最年少の20歳で全日本選手権を制覇する。 デビスカップ日本代表。 その後デビスカップやオリンピックのヘッドコーチ、監督を務める。 |
東尾理子 (ひがしおりこ) |
プロゴルファー。 1975年(昭和60年)福岡市生まれ。 帝京高等学校、日本大学卒業、フロリダ大学へ留学。 父がライオンズの投手だったため、福岡市で生まれ、中学入学時に東京へ移転。 8歳でゴルフを始める。 1999年(平成11年)プロテストに合格、同年アメリカフューチャーズツアー優勝。 ゴルフのテレビ番組や、父親とラジオ番組に出演。 |
川上音二郎 (かわかみおとじろう) |
俳優、芸人。 1864年(文久4年)福岡市博多区生まれ。 1878年(明治11年)上京して福沢諭吉で出会い、政治に目覚める。 自由民権運動に参加する。 政府の弾圧から逃げるために1887年(明治20年)に大阪に移り、落語家の桂文之助に入門。 世情を風刺した「オッペケペー節」で一世風靡する。 評判の美人芸者で、後に日本初の女優になった貞奴と結婚。 1896年(明治29年)川上座を創設。 米国やパリ万博での公演を成功させる。 1908年(明治41年)帝国座を解説。 1911年(明治44年)舞台で倒れ47歳で逝去。 |
下川辰平 (しもかわたっぺい) |
俳優。 1928年(昭和3年)福岡市生まれ。 武蔵野美術大学中退。 1968年(昭和43年)より1976年(昭和51年)まで文学座所属。 「太陽にほえろ」の長さん役で、全国的に有名になる。 その後、燻銀のバイプレーヤーとして定着。 時代劇にも多く出演する。 2004年(平成16年)敗血症のため77歳で逝去。 |
つかこうへい | 劇作家。 1948年(昭和23年)生まれ。 嘉穂町(かほまち)出身。 福岡県立山田高校卒業、慶応大学文学部フランス哲学科中退。 「蒲田行進曲(かまたこうしんきょく)」、「寝盗られ宗介」、「熱海殺人事件」など多くの作品を書いている。 1995年に大分市つかこうへい劇団を旗揚げする。 |
高倉健 (たかくらけん) |
俳優。 1931年(昭和6年)中間市生まれ。 その後、北九州市八幡西区に移転。 福岡県立東筑高等学校商業科、明治大学商学部卒業。 東映本社内の喫茶店でスカウトされ、「網走番外地」や「日本侠客伝」といった任侠映画でスターになる。 「八甲田山」、「幸福の黄色いハンカチ」、「南極物語」、「ブラック・レイン」、「鉄道員」等多くの作品に出演する。 各賞を多数受賞。 |
千葉真一 (ちばしんいち) |
俳優。 1939年(昭和14年)福岡市生まれ。 4歳の時、千葉へ転居。 日本体育大学中退。 空手、少林寺拳法、乗馬の達人。 1959年(昭和34年)東映のニューフェイスに合格する。 1968年(昭和43年)から放送の「キーハンター」で人気アクションスターになる。 1970年(昭和45年)アクション俳優養成所ジャパンアクションクラブを設立。 海外でもSonny Chibaの名前で多くの映画に出演する。 |
武田鉄矢 (たけだてつや) |
俳優、歌手、タレント。 1949年(昭和24年)福岡市博多区生まれ。 福岡県立筑紫中央高等学校卒業、福岡教育大学教育学部中退。 1972年(昭和47年)海援隊を結成。 「母に捧げるバラード」が大ヒット、紅白歌合戦に出場。 1977年(昭和52年)「幸福の黄色いハンカチ」で俳優デビュー。 その後テレビドラマ「金八先生シリーズ」はライフワークともいえる作品。 主題歌「贈る言葉」は今も歌い継がれている。 |
田中健 (たなかけん) |
俳優、ケーナ奏者。 1951年(昭和26年)筑後市生まれ。 1972年(昭和27年)あおい健の名前で歌手デビュー。 1974年(昭和49年)映画「サンダンカン八番娼館 望郷」でデビュー。 1975年(昭和50年)にスタートしたテレビドラマ「俺たちの旅」シリーズのオメダが当たり役となり人気が出る。 1983年(昭和58年)に南米旅行中にケーナと出会う。 1990年(平成2年)ケーナー奏者としてデビュー、CDを発売する。 |
草刈正雄 (くさかりまさお) |
俳優。 1952年(昭和27年)小倉市生まれ。 小倉西高校中退。 米軍人の父と日本人の母の間に生まれたルックスの良さから、17歳で資生堂専属モデルなり、その後タレント、歌手、俳優と活躍。 |
清水健太郎 (しみずけんたろう) |
俳優、歌手。 1952年小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。 足利工業大学卒業。 小倉魚町でスカウトされデビュー。 1976年(昭和51年)「失恋レストラン」が大ヒット。 1977年(昭和52年)「帰らない」で日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。 その後Vシネマで活躍。 大麻や覚せい剤で4回逮捕される。 代表作は「首領への道」、「極道三国志」、「獅子王たちの最后」等。 |
伊佐山ひろ子 (いさやまひろこ) |
女優。 1952年(昭和27年)福岡市生まれ。 福岡女学院高等学校卒業。 タモリといとこ同士。 「嗚呼!!花の応援団」、「稲村ジェーン」、「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」、「あ、うん」、「夢千代日記」、「北の国から」、「必殺仕置き人」、その他多くの作品でバイプレーヤーとして活躍。 |
石橋凌 (いしばしりょう) |
俳優、歌手。 1956年(昭和31年)久留米市生まれ。 福岡県立久留米高等学校卒業。 1977年(昭和52年)ロックバンドARBにオーディションで合格して参加。 1979年(昭和54年)「暴力戦士」で映画デビュー。 代表作の映画は「ア・ホーマンス」、「クロッシング・ガード」、「キッズ・リターン」、「BROTHER」等、テレビドラマは「武田信玄」、「お金がない」、「蘇る金狼」、「ビギナー」、「輪舞曲」等。 |
陣内孝則 (じんないたかのり) |
俳優、歌手。 1958年(昭和33年)大川市生まれ。 西南学院高校卒業。 1980年にザ・ロッカーズで歌手としてデビュー。 その後、倉本聰脚本のTVドラマ「ライスカレー」で俳優として注目される。 映画「ちょうちん」でブルーリボン賞主演男優賞を受賞。 シリアスな役からコミカルな役、ミュージカル、トーク番組など幅広い分野で器用さを見せている。 |
西川峰子 (にしかわみねこ) |
女優、歌手、タレント。 1958年(昭和33年)田川郡赤村生まれ。 1974年(昭和49年)に「あなたにあげる」でデビュー、大ヒットとなり日本歌謡大賞新人賞、レコード大賞新人賞を受賞。 その後女優として「吉原炎上」、「肉体の門」、「極道の妻たち」で大胆な演技をする。 2001年(平成13年)隠岐島の後鳥羽上皇の墓守りの一族の跡取りと結婚。 |
黒木瞳 (くろきひとみ) |
女優。 1960年(昭和35年)生まれ。 黒木町出身。 本名伊知地昭子。 出身地黒木町にちなんで芸名にする。 宝塚音楽学校卒業。 宝塚月組の娘役のトップスターになるが退団。 「化身(けしん)」、「姐御(あねご)」、「蔵」、「失楽園」など多くの映画や、テレビドラマ、舞台に出演。 好感度調査で常に上位で、CM出演も多数。 |
藤吉久美子 (ふじよしくみこ) |
女優。 1961年(昭和36年)久留米市生まれ。 福岡女学院高等学校卒業、大阪芸術大学中退。 1982年(昭和57年)NHK朝の連続テレビ小説「よーいドン」のヒロインとしてデビュー。 歌手であり、俳優の太川陽介と結婚。 昼ドラマ「温泉へ行こう」ではお茶の間の人気を得る。 サスペンスや時代劇にも多数出演。 主婦の立場、母の立場でタレントとしても活躍。 |
酒井法子 (さかいのりこ) |
女優。 1971年(昭和46年)福岡市生まれ。 堀越高等学校卒業。 1985年(昭和60年)参加したコンテストがきっかけでスカウトされる。 1986年(昭和61年)テレビドラマ「春風一番」でデビュー。 ニックネームはのりピー。 のりピー語が流行する。 歌手としても大活躍する。 台湾、香港、中華人民共和国で大スターになる。 代表作は「ひとつ屋根の下」、「星の金貨」、「利家とまつ」等。 |
牧瀬里穂 (まきせりほ) |
女優。 1971年(昭和46年)福岡市生博多区生まれ。 その後、鹿児島県、佐賀県に転居。 中学2年生のとき天神でスカウトされる。 福岡女学院高校を2年生のとき退学して、東京の文化学院高等部英語化に編入。 1990年(平成2年)映画「東京上空いらっしゃいませ」でデビュー。 多くの映画、テレビ、舞台、CMに出演。 |
妻夫木聡 (つまぶきさとし) |
俳優。 1980年(昭和55年)福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)生まれ。 幼少の頃、横浜市に転居。 神奈川県立舞岡高等学校卒業。 1997年(平成9年)ホリプロや日本放送等が主催する「スタアオーディション」で約300万人の中からグランプリに選ばれる。 ホリプロに所属。 テレビの代表作は「ランチの女王」、「ブラックジャックによろしく」、「オレンジデイズ」、映画の代表作は「ジョゼと虎と魚たち」、「涙そうそう」、「どろろ」、「憑紙」等。 |
田中麗奈 (たなかれな) |
女優。 1980年(昭和55年)久留米生まれ。 西日本短期大学附属高等学校卒業。 子供の頃より福岡のモデル事務所所属。 1998年(平成10年)サントリーのなっちゃんのCMで一躍人気が出る。 同じ年の映画「がんばっていきまっしょい」では新人賞を総なめにする。2006年(平成18年)の「暗いところで待ち合わせ」では盲目の少女役を見事にこなす。 映画とCMに中心の出演で、テレビドラマにはほとんど出ない。 |
古賀政男 (こがまさお) |
作曲家。 1904年(明治37年)生まれ。 大川市出身。 7歳まで大川で過ごす。 昭和初期より50年間、「影を慕いて」、「丘を越えて」、「誰か故郷を想わざる」、「歌ふ狸御殿(うたうたぬきごてん)」、「悲しい酒」など数々の大ヒット曲を生む。 1978年に2人目の国民栄誉賞を受賞。 生家の近くの大川市大字三丸(おおあざみつまる)に古賀政男記念館がある。 |
中村八大 (なかむらはちだい) |
作曲家。 ジャズピアニスト。 1931年(昭和6年)中国青島生まれ。 帰国後、久留米市で幼少の時より過ごす。 久留米市の旧制中学明善(現・福岡県立明善高等学校)卒業。早稲田大学卒業。 「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」、「遠くへ行きたい」、「明日があるさ」等1950年代から1960年代にかけて活躍する。作詞家の永六輔とのコンビが多い。 |
梓みちよ (あずさみちよ) |
歌手。 1943年(昭和18年)福岡市博多区生まれ。 宝塚音楽学校を中退して、デビュー。 1963年(昭和38年)には「こんにちは赤井ちゃん」が大ヒット。 代表曲は「ポカン・ポカン」、「渚のセニョリーナ」、「二人でお酒を」、「メランコリー」等。 1971年(昭和46年)から8年間、新婚さんいらっしゃいの司会を務める。 |
鮎川誠 (あゆかわまこと) |
ギタリスト、作曲家、俳優。 1948年(昭和23年)久留米市生まれ。 小学生の時からギターに熱中する。 福岡県立明善高等学校、九州大学農学部卒業。 大学時代からバンドを結成。 1978年(昭和53年)妻とシーナ&ザ・ロケッツ結成。 近年はテレビドラマや映画にも出演している。 九州ローカルのCMに多く出演。 現・在も筑後弁で話す。 |
小柳ルミ子 (こやなぎるみこ) |
歌手、女優。 1952年(昭和27年)生まれ。 福岡市出身。 宝塚音楽学校卒業。 宝塚退団後、「わたしの城下町」、「瀬戸の花嫁」が大ヒットする。 映画「白蛇抄(はくじゃしょう)」での日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。 女優としても高い評価を得ている。 舞台やディナーショーで得意のダンスを披露している。 |
井上陽水 (いのうえようすい) |
歌手。 1948年(昭和23年)嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)生まれ。 福岡県立西田川高校卒業。 1969年アンドレ・カンドレという芸名でデビューするが売れず、3年後本名で再デビュー。 「傘がない」、「夢の中へ」、「リバーサイドホテル」、「少年時代」など次々とヒットを出している。 |
大川栄策 (おおかわえいさく) |
歌手。 1948年(昭和23年)生まれ。 大川市出身。 本名荒巻逸造。 佐賀商業高校卒業。 家具の町大川の家具製造業の息子として生まれ、芸名も大川にする。 テレビでタンスを担ついで見せたりした。 高校卒業後上京し、同郷の古賀政男の門下生になる。 長い下積み生活の末、「目ン無い千鳥」をリバイバルで歌いロングセラーヒットとなる。 1982年に出した「さざんかの宿」はミリオンセラーになる。 他に「女の一生」、「北の慕情」など。 |
財津和夫 (ざいつかずお) |
歌手、俳優。 1948年(昭和23年)生まれ。 西南学院大学卒業。 学生時代にビートルズを聴き、音楽に目覚め、フォーシンガーズを結成。 のちにチューリップとしてメジャーデビュー。 代表作は「心の旅」、「サボテンの花」、「切手のないおくりもの」など。 俳優として「三男三女婿一匹」、「想い出にかわるまで」、「走らんか」、「たったひとつの恋」等に出演。 2004年(平成16年)より大阪芸術大学教授を務める。 |
山本リンダ (やまもとりんだ) |
歌手。 1951年(昭和26年)小倉市(現・北九州市小倉)生まれ。 1966年(昭和41年)「こまっちゃうナ」でデビュー。 大ヒットをして紅白歌合戦に出演。 その後しばらくヒットに恵まれないが、1972年(昭和47年)以降「どうにもとまらない」、「狂わせたいの」、「じんじんさせて」、「狙いうち」等、次々ヒットを飛ばす。 数々の音楽賞を受賞。 |
りりぃ | 歌手、女優。 1952年(昭和27年)福岡市天神町(現・中央区天神)生まれ。 キッズモデルとしてデビュー。 1971年(昭和46年)歌手デビューする。 1974年(昭和49年)に発売した「私は泣いています」で一躍有名になる。 近年は多くのテレビや映画に出演している。 |
甲斐よしよろ (かいよしひろ) |
歌手。 1953年(昭和28年)生まれ。 福岡市博多区出身。 本名甲斐祥弘。 福岡市立福岡商業高等学校(現・福岡市立福翔高等学校)卒業。 1974年にハッピーフォークコンテストで優勝したのをきっかけに、甲斐バンドとして「バス通り」でデビューする。 「HERO」、「安奈」、「レディ・イヴ」など。 最近はソロ活動をしている。 |
郷ひろみ (ごうひろみ) |
歌手。 1955年(昭和30年)生まれ。 日本大学中退。 ジャニーズ事務所にスカウトされNHK大河ドラマでデビュー。 「男の子女の子」で歌手デビュー。 アイドルとして若い女性に熱狂的な支持を受ける。 離婚に際して「ダディー」という本を出版して話題になる。 |
CHAGE&飛鳥 (ちゃげ あんど あすか) |
歌手。 CHAGEは1958年(昭和33年)小倉市生まれ。 筑紫ヶ丘中学校、福岡第一高等学校卒業。 飛鳥は1958年(昭和33年)筑紫郡大野町(現・大野城市)生まれ。 大野中学校へ入学、父の転勤のため千歳中学校へ転校、札幌第一高等学校に入学するが、再び父の転勤で福岡に戻り、CHAGEと同じ福岡第一高等学校へ転入し、ここで二人は出逢う。 その後共に福岡第一経済大学に進学。 飛鳥は幼い頃より剣道をして、インターハイに出場するほどの腕前だった。 1978年(昭和53年)ポプコンつま恋本選会に入賞。 1979年(昭和54年)「ひとり咲き」でデビュー。 その後数々のヒット曲を生む。 |
藤井フミヤ (ふじいふみや) |
歌手。 1962年(昭和37年)久留米市生まれ。 南筑高校卒業。 高校時代からバンド活動を始める。 チェッカーズとしてメジャーデビューすると、出す曲のほとんどが大ヒットする。 1992年にチェッカーズを解散して、ソロとなり、俳優としても活躍している。 「TRUE LOVE」、「女神(エロス)」、「Another Orion」など。 |
KAN (かん) |
歌手。 1962年(昭和37年)福岡市生まれ。 福岡県立城南高等学校、法政大学社会学部卒業。 ヤマハEAST WESTで優勝、YOUNG JUMPサウンドコンテストで、激励賞を受賞。 これを機にプロとしてデビュー。 1990年に発表した「愛は勝つ」が大ヒットして、各賞を受賞。 学園祭での人気も高い。 |
松田聖子 (まつだせいこ) |
歌手。 1962年(昭和37年)久留米市生まれ。週間セブンティーン主催のミス・セブンティーンコンテストをきっかけにデビューする。 「青い珊瑚礁」、「赤いスイトピー」など次々とヒット曲を出し、数々の賞も受賞する。 私生活ではスキャンダルが絶えず、ワイドショーを賑わしている。 |
氷川きよし (ひかわきよし) |
歌手。 1977年(昭和52年)福岡市南区生まれ。 福岡第一商業高等学校卒業。 2000年(平成12年)「箱根八里の半次郎」でデビュー。 芸名の名付けの親は北野たけし。 代表曲は「きよしこの夜」、「大井追っかけ音次郎」、「きよしのズンドコ節」、「番場の忠太郎」、「初恋列車」、「きよしのソーラン節」等。 演歌低迷時代に次々とヒットを出し、多くの賞を受賞する。 |
浜崎あゆみ (はまさきあゆみ) |
歌手。 1978年(昭和53年)福岡市早良区生まれ。 堀越高等学校中退。 10代前半から浜崎くるみの芸名で福岡のモデルクラブに所属。 その後、サンミュージックにスカウトされテレビや映画に出演。 1998年(平成10年)に歌手としてデビュー。 連続オリコン1位、ミリオンセラー、数多くの賞を受賞等、名実共にナンバーワン女性歌手になる。 若い女性にカリスマ的人気がある。 |
小松政夫 (こまつまさお) |
コメディアン、俳優。 1942年(昭和17年)生まれ。 クレイジーキャッツの植木等の運転手兼付き人なりコメディアンを目指す。 1968年大人気番組「シャボン玉ホリデー」でデビュー。 デビュー以来テレビを中心に、お笑い番組、ドラマ、CMでお茶の間の人気者に。 多くの流行語も生み出す。 |
タモリ | タレント。 1945年(昭和20年)生まれ。 福岡市出身。 早稲田大学文学部中退。 様々な職業を経て、30歳の時デビュー。 司会、ものまね、ラジオのパーソナリティーなどで多才ぶりを発揮している。 |
森口博子 (もりぐちひろこ) |
タレント。 1968年(昭和43年)福岡市中央区生まれ。 堀越学園高校卒業。 NHK勝ち抜き歌謡天国の全国名人大会で準優勝したのをきっかけにデビューする。 歌手としてデビューしたが目立ったヒットがなく、タレントに転身して、バラエティ番組に多く出演するようになる。 |
博多華丸 (はかたはなまる) |
お笑い芸人。 1970年(昭和45年)福岡市早良区生まれ。 福岡大学附属大濠高等学校卒業、福岡大学工学部中退。 そこで大吉と出会い、後に博多華丸・大吉を結成。 吉本興業所属。 物まねが得意で、特に児玉清のアッタク25の物まねで2006年R-1ぶらんぷり優勝、全国的に有名になる。 |
博多大吉 (はかただいきち) |
お笑い芸人。 1971年(昭和46年)古賀市生まれ。 福岡県立光陵高等学校卒業、福岡大学経済学部中退。 大学時代落語研究会所属。 そこで華丸と出会い、後に博多華丸・大吉を結成。 吉本興業所属。 漫才や華丸の物まねのネタ作りをほとんどする。 |
カンニング竹山 (かんにんぐたけやま) |
お笑い芸人。 1971年(昭和46年)福岡市城南区生まれ。 |
ヒロシ | お笑い芸人。 1972年(昭和47年)大牟田市生まれ。 その後熊本県へ転居。 荒尾高等学校、九州産業大学商学部卒業。 |
原口あきまさ (はらぐちあきまさ) |
ものまねタレント、お笑い芸人。 1975年(昭和50年)北九州市小倉南区生まれ。 常磐高等学校、東京アナウンス学院卒業。 |
なかやまきんに君 (なかやまきんにくん) |
お笑い芸人。 1978年(昭和53年)北九州市生まれ。 福岡工業大学附属城東高等学校卒業。 デビュー前の1998年(平成10年)探偵ナイトスクープに「世界一指を早く回せる男」として出演。 1999年(平成11年)吉本総合芸能学院の第22期生になる。 2001年(平成13年)吉本新喜劇に入団。 自慢の筋肉を使ったスベリネタが多い。 1996年10月より1年間アメリカへ筋肉留学。 |
秋山竜次 (あきやまりゅうじ) |
お笑い芸人。 1978年(昭和53年)北九州市門司区うまれ。 福岡県立門司北高校卒業。 1988年(昭和63年)ロバート結成。 |
馬場裕之 (ばばひろゆき) |
お笑い芸人。 1979年(昭和54年)北九州市門司区うまれ。 福岡県立門司北高校卒業。 1988年(昭和63年)ロバート結成。 |
鳥越俊太郎 (とりごえしゅうたろう) |
ジャーナリスト。 1940年(昭和15年)春日市生まれ。 浮羽郡吉井町(現・うきは市)で育つ。 久留米大学附設高等学校、京都大学文学部卒業。 1965年(昭和40年)毎日新聞社入社。 1988年(昭和63年)サンデー毎日編集長就任。 その後テレビ番組の司会等務める。 |
孫正義 (そんまさよし) |
実業家。 1957年(昭和32年)佐賀県鳥栖市生まれ。 その後北九州市に移る。 久留米大学附設高等学校中退、米国の高等学校、大学に留学。 1981年(昭和56年)日本ソフトバンク設立。 1996年(平成8年)ヤフー設立。 2004年(平成16年)日本テレコム買収。 2006年(平成18年)ボーダーフォン買収。 |